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よみもの

新天地で春を迎える人へ。

投稿日:2018年03月16日

投稿者:いね

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吉田雄一は、3月も終わりになると決まって思い出すことがある。大学進学で引っ越しするときの思い出だ。
新幹線のホームで友達二人に見送られて、盛岡へたった。映画でよくあるような、ドアが閉まるまで思い出を語り合って互いに励まし合うとか、列車と併走しながらガラス越しに手を振り合う、というような劇的な別れではなかった。わりとシンプルな別れのように思う。というか、これは自分からのお願いでもあった。

劇場型のさよならをすると絶対泣いてしまうし、クールじゃないし、みっともない。漢ならいさぎよく、握手一本ですませようと、事前に約束していたのだ。そしてその約束は果たされた。いっぺんの乱れもなく。多少のサプライズを期待していた当人としては、少しガッカリなところあったが、それでも首尾よく実行してくれた友人には感謝している。

約束された別れではあったが、涙もろい自分には相当こたえたらしい。新幹線の中で一段落すると目が小刻みに痙攣をはじめ、コントロールがきかなくなる。なんとか持ちこたえたと思っても、今度は車窓だ。日常だった街がゆっくり流れ去るのがこれほどに辛いものとは。まだ生まれて間もない思い出がリアリティをともなって押し寄せてくる。一旦落ち着くと、別の思い出が深度をましながら波のように押し寄せてくる。
追い打ちをかけるように母親のおにぎりだ。
あれは中学受験の時だったろうか。母親に持たされたおにぎり。お昼時間に頬張ると入っていたのは、なんとトンカツだった。コンビニにも置いていないような異次元の組み合わせに面食らいながら、私は3つの感想をもった。
一に安直すぎるということ。小学生でもやらないようような直球ど真ん中をいくような組み合わせだ。もっと気の利いた祈願の表現があってもいいのではないか。
二に、もし誰かに見られでもしたら、3年間トンカツでいじられる悲惨な学生生活を送らねばならないだろうと危機意識をもったこと。
第三に、美味しかったこと。ごはんとトンカツなのだ。まずい訳がない。
家に戻ってから母親を問いただした。気持ちは嬉しいけれど、あれは安直すぎではなかろうかと。しかし、返ってきた言葉は「あら、トンカツの神様って本当にいるのよ」という母親らしい謎めいた言葉であった。神様も八百万いるといえど、古今東西の食べ物にまで出張せねばならないとなると、なかなかのハードワークである。神様の業界が人材不足に陥ってないかすこし心配になる。
効果のほどは定かではないが、中学受験には無事合格した。一度起きることは二度三度。以降、高校入試はもちろん、部活の大会、大学受験などのおにぎりにはトンカツ様が必ず鎮座することとなった。いつしかそれは弟にも引き継がれ、吉田家の慣例となった。
そして今手にしているおにぎりにもトンカツが入っている。地元にいたころは胃袋しか刺激しかったおにぎりだが、旅立ちの新幹線で食べると事情が違う。母親にまつわる思い出が怒涛のようになだれ込んできて、胃袋よりも涙腺を重点的に刺激してくる。これには参った。涙はもう、まぶたの裏までやってきてる。

しかし、新生活。思い出を引きずるわけにはいくまい、これからは強く生きると決めたのだ。そう自分を鼓舞し、カーテンを下げ、イヤホンで耳を塞ぎ、文庫本を取り出して、込み上げてくる感情に無理やり蓋をした。

 

新しいアパートに着いて、真っ先に感じたのは自由だった。かけらも生活感を感じさせない真っ白な壁紙。むらなくワックスされた綺麗なフローリング。自分だけのキッチン、自分だけのお風呂。自分だけのベランダ。親もいない、門限もない、自分史上最大の自由が始まるのだと思うとワクワクが止まらなかった。でもそれも一時のものだった。

引越し業者から荷物を受け取り、荷解きして、100円ショップで必要なモノを買い足し、ご飯を済ませてから20時くらいに家に戻る。誰もいない。ただいまの声もない。当たり前だ。お風呂から戻る。やはり誰もいない。父親のテレビニュースへのぼやき声も、母親のフライパンを返す音も、犬の鳴き声も、何もない。純度100%の静寂。
昨日までの日常がとても懐かしく思えて、新幹線で蓋をしていた感情が噴き出しそうになる。
そわそわしつつ、寂しさを紛らすためにテレビをつけるが、ひどく場違いな感じがしたので、すぐに消した。音楽をきこうとMDをかけるが、スピッツが感傷的な詩を突きつけてきて、余計感情を乱しそうだったので消した。静寂。
やること。やること。
そうだ、整理がまだ残っていた。一番近くのダンボールを引っ張り出し、仕分けに取り掛かるも、アルバムやら色紙やらが泣け泣けと言わんばかりに出てくる。思い出に呑まれそうになったので、早々に切り上げた。
孤独という自由の代償がKO寸前の涙腺をキリキリと絞り上げる。涙腺崩壊まで、あと10秒。

その時、春の生暖かい風がカーテンを勢いよく揺らした。隙間から盛岡の夜が見えた。好奇心にかられベランダに出てみると市街地の夜景が目に飛び込んでくる。新居は小高い丘にあるアパートの二階で、盛岡の街並みが一望とはいえないけども、そこそこ綺麗に見える。それが決定打となってこのアパートに決めたのだった。左から右へ130度の夜景を眺める。月光によって建物の輪郭はむき出しとなり、山肌までもが鮮明に浮かびあがっていた。

全部初めての風景。
でも、これから当たり前になっていくはずの風景。

そうなのだ。地元に比べたら少し背の低い建物も、聞いたこともないスーパーも、国道沿いのやたら多い焼肉屋の看板も、3月下旬でも咲く気配を見せない桜も、数ヶ月後には日常になっているはずなのだ。
当たり前のことだけれど、そう考えるとさっきまでのささくれだった寂しさが少し丸くなっていく。

今はまだこの街について何も知らない。本来であれば時間をかけて歩み寄ってくのだろうけど、そんな悠長なことはしてれらないと思った。すぐにでもこの街の風景や、色や匂いや空気を全身で感じたくなった。季節外れの春の暖かさが今でしょと、背中を押している。
「であるならば」
と心のこえを発し、ベランダに立てかけていたクロスバイクに手をかけ、一息に肩に担いだ。踵をかえし、そのままの勢いでサッシをまたぎ、部屋へ戻る。ちらかったダンボールをシューティングゲームさながらに回避しつつ、玄関に出る。お決まりのスニーカーに乱暴に足をつっこみ、勢い良くドアをあけ、階段を駆け下りる。途中一階の開け放たれた窓から大学生の宴会と思しき喧騒が聞こえてきたが、気にしない。
右肩に目一杯食い込んでいた自転車を降ろし、間髪入れずサドルにまたがった。重たいギアに踏み負けないよう自重を利用しながら加速する。ペダルが勢いよく回りはじめた頃には、住宅街を抜けていた。車や人気はほとんど無い。ギアをトップスピードに入れ、ペダルを踏み抜く。春の夜風が気持ちいい。立ち漕ぎに切替え、車体を大きく左右に揺らしながら、どんどんスピードを上げていく。

下り坂が見えてきた。

その先には、月明かりを受けた盛岡の青い街並みが静かに、しかし堂々と佇んでいる。
この先、日常になる景色。そして新しい自分を包み込んでくれる景色。

ぜったいこの街を好きになってやろう、と思う。
飛びっきりの学生生活にしてやる。

ペダルを踏み込む。
新生活が始まる。

よろしく、盛岡。よろしく、自分(NEW)

 











春に似つかわしくないくらいの陽気な朝日を浴びながら、吉田雄一は思う。
18年前もこれくらいの暖かさであったろうか。
大学卒業後、地元には戻らず盛岡の企業に就職した。ほどなくして大学から付き合っていた彼女と結婚し、娘もできた。小学生に上がる頃にはマンションも買った。
今そのベランダから当時の夜とさほど変わらない盛岡を見ている。
あれから18年か、と記憶をまさぐりながら感傷に浸っていると、後ろから妻にけしかけられた。
「今日は何の日か分かってる?あと30分で出発なのよ」
わかっているよ。
今日は娘の旅立ちの日だ。仙台の高校にスポーツ進学することになったのだ。そして盛岡駅まで送る約束になっている。

ひげを剃り、髪を整え台所に戻る。冷蔵庫をあけ、グラスに烏龍茶を注ぎ、一気に飲み干す。
その横では妻が小気味よく腕を上下に動かし、おにぎりを作っている。
さらにその隣を見て苦笑する。コンロにかけられている鍋の中で、こがね色をしたトンカツが気持ちよさそうに油の海を泳いでいる。

 




 

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